プロフィール

<YGL代表> 内田 栄作 プロフィール

1951年6月徳島県生まれ。阿波の三峰山(日ノ峰・津ノ峰・中津峰)の麓、
小松島市(日ノ峰)に建立された石碑に名を連ねる剣士(錬士)/実父の影響を大きく受け育つ。

実父の錬士としての活動は、警察官や教職員等の指導のほか、
地元は勿論、県内外に多くの弟子を持つ剣道会に従事。
その傍ら、正調:阿波踊りの踊子としても活躍し、両界の弟子達と共に4人の実子達にも、
錬士として、また、徳島県人としての粋も含め多くの訓えを残したと言う。

人や社会に在る実父に見た穏やか乍も荘厳な気質と、
人の為に善の限りを尽くし続けた実母の教育は、
内田自身の人格形成において、
図らずも、現在の【統計学】に通じる道標となった事を後々実感したと内田は語る。

阿波踊りの踊り手であった実父の背中を見て育った内田も、
幼少の頃から阿波の踊子として数々のシーンで活躍している。
1970年開催の大阪万国博覧会で、先方一席の躍り手を務めるなど、
各都道府県でのイベント出演、また、ハンセン病の各施設訪問・福祉施設慰問・ボランティア等々、
多くの活動の中で様々な経験を成し、
そこで得た心情も現在のライフワークに活かされし大いなる心の財産となっている。

潜在意識

果敢な青春時代を送っていた最中、のち、婚約者も居た20代半ば、
2週間の危篤状態が続いた大病(肋膜炎)で生死を彷徨った内田・・・
その難を、四柱推命占術を手掛けていた実姉が既に言い当てていた事を知った時、
“起き得た難の時期”について、“何故この時期に!?”と、
科学だけではない“何某かの理由”を徐に感じたと言う内田曰く、
『今にして思えば、この時期から“運勢”という力学を肌で感じていたようにも思います。』と語っている。

内田が語る運勢の力学…
そこには、利害や損得など一切介在しない肉親(実姉)の真摯な占視が、
難を迎えた内田自身に、ひとつの潜在意識として、無意識の意識を植え付けたのかもしれない…。

統計学との出会い

病を克服しつつも、それまでの人生観が大きく変った先、
幾つかの転職や倒産など模索の中で挫折も味わい、心の闇とも思えた時期、とある人物を通し、
【3,000年の統計を基にした哲学者:孔子考案の学問】に出会う。

人が持つ、
先天運(宿命)という自然の運行に始まる【統計学・運命学・印相学】を徹底的に修学した内田は、
人間学なる理論・思考・使命(伝導)等、統計学だけに留まらない修門イズムとも尽く向き合った。

世の中にある種々様々な占術という世界で、大半のそれ等は(悪意は無いまでも)
ただ当ればいいと言う、営利追求型の商業占術が多い中、
内田が修得し目指したのは、俗占術とは一線を引く真理追究、更には、
1度切りの鑑定でなく、縷々悩みを抱えた相談者の“明”なる解決を見るまで、
最後の最後迄、誠心誠意其々の運勢を何度となく説とし、
鑑定に限らずのアドバイスを送り続けるという現在のYGLスタイルである。

独立/YGL設立への道程

そんな内田にも再び難が訪れた独立に至る迄の道程・・・
同学問鑑定士(伝導者)の中でも、類稀な才能を持った内田に多くの支援が集まる中、
平成15年に独立へと動き始めた頃、同年(3/10)最愛の実弟が他界、加えて、
同月(3/15)それまで共に学問を極めて来た同士の逝去、更には、
内田の独立を全面的にバックアップ・サポートしてくれていた某氏の急死…
相次いた親近者の不幸は、少なからず内田の“気”に暗雲を呈した。

しかし、
心の難に在る内田を救ったのは、
鑑定士:内田を心から慕う多くの人々(お客様)であったと言う。
北は北海道、南は鹿児島に渡る全国各地の相談者と向き合う中で、
鑑定士としての真髄を改めて確信し、渾身の創意を決し、平成17年YGL設立に至る。

言えば、これまでにあった内田自身の“運勢”も、
【統計学】に見る試練の先の事由であったのやもしれない…。

内田栄作より

『多くの方々のご要望にお応えするべく、この度ホームページ開設の運びとなりました。
出会うべくして出会えた相談者の皆様お一人お一人が、
ご自身が持たれる【運勢】に一日も早く気付かれ、
強運に向け、大いなる幸福を掴んで頂ける為に、
私:Fortune Tellerとして更に精進して参ります。
このHPとの出会いを一つの【期】とし、あなたの【運勢】を今一度見詰め直してみませんか!?』

~I mean what a say~